巫氏春秋

アフロユーラシア史関係の雑記。 歴史と民族関係の書籍紹介。 井戸の中のカエル(巫俊の前世)の陳腐な日常の大冒険の言行録を一挙公開♪ 巫俊の総裁する雑篇「巫氏春秋」を照覧あれ。

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『福建通志』台湾府

福建省の地方誌の『福建通志』台湾府の沿革の項目にこんな記事があった。


大 清 一 統 志 :
台 湾 自 古 荒 服 之 地 , 不 通 中 国 ,
(中略)
明 天 啓 中 為 紅 毛 荷 蘭 夷 人 所 拠 , 属 於 日 本 .

『大清一統志』:
台湾は古より荒服の地であり、中国と通交しておらず、
(中略)
明朝の天啓年間(1621年~1627年)、(台湾は)紅毛商人の蘭夷人の割拠するところであり、日本に属していた。
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福建省三国呉小考(序第一)

福建省にまつわる三国志のエピソードを脳裏に浮かべることができますか?

福建省は中国の東南部にある省で台湾の対岸にある沿海の地域です。
沿海の島嶼には新石器時代の貝塚遺跡があったとされ(注1)、
古くから沿岸を航海する海の民がいたのではないかと期待されています。
明末に鄭成功が勢力を蓄えたのもここ福建省で鄭成功は明代の倭寇の流れを汲むとも言います。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%84%AD%E6%88%90%E5%8A%9F
(ウィキペディア 鄭成功)

鄭成功は明が滅びると、明の故地を征服せんとする清朝の尖兵と戦い、清の大陸における隆興を阻止することは
できませんでしたが、鄭成功とその一族たちは海島に拠って抵抗し、当時オランダ人の植民地になっていた台湾
城を攻略、台湾を反清の根拠地としてフィリピン遠征を企画するに至ります。

この行動力は個人の力に由るところが大きいとはいえ、鄭成功が南海に覇を唱えた背景には中国南部の「海の世
界」があります。
鄭成功が台湾を根城にしたことは戦後に国民党政権が台湾に逃れたことにも関係してくるんですが、
実は中国数千年の伝統に裏打ちされた「海の世界」の歴史が嶺南山脈以南の南海中国に「もうひとつの中国」を
建国させたのだと私は考えています。

中国数千年の伝統という言葉はある種の語弊がありますので言い換えると、中国だけでない嶺南の数千年に渡る
人類の営みの歴史が鄭成功をつくり、今の台湾をもつくったと考えた方がより自由な考え方が可能になります。

鄭成功にしても彼の覇業は一日で成った訳ではなく、倭寇由来の軍事力と南宋由来の流亡政権の伝統があって初
めて強大な清朝と戦う条件が整ったのですし、国家基盤となる経済力は南海貿易で得られたものです。

これからしばらく、鄭成功が南海に覇を唱えるまでにいたる華南の伝統文化を「嶺南伝統」と名付け、遠大にも
三国時代から漢代にまで遡って「何故鄭成功は挙兵できたのか」を探っていこうと思います。
鄭成功のはしりというべき人に王朗という人がいます。三国ファンおなじみの後漢の会稽太守・王朗です。

海の世界の中国史は、北方で敗北して南海に流亡してきた中国人からはじまるのです。
王朗の時代は未だ海の世界が未発達でしたので、福建に逃げてきた王朗は鄭成功になることをすぐに諦め中原に
還ってしまうんですが、ここから福建の中国化の歴史ははじまるのです。

華南の中国史には福建、両広(広東、広西)、雲貴の三つの歴史があるんですが(交州のベトナムのふくめると
四つ)、まずは福建省から語り起こすとします。
そして嶺南の三国志をばいざ開帳!




注1、貝塚遺跡があるはずだが巫俊が論文を探して確認したのは河北省と広東省の貝塚遺跡だけだったりする。
要調査!

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巫俊(ふしゅん)

Author:巫俊(ふしゅん)
研究対象:中国史(夏殷時代の地域史)
テーマ:神の王権の民族抗争とその生態

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