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巫氏春秋

アフロユーラシア史関係の雑記。 歴史と民族関係の書籍紹介。 井戸の中のカエル(巫俊の前世)の陳腐な日常の大冒険の言行録を一挙公開♪ 巫俊の総裁する雑篇「巫氏春秋」を照覧あれ。

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客観的な事実

というものは曲者で、歴史学はふつう歴史を公平に書こうとするものだが、
公平に書こうとすればするほど、歴史の正体を見失う。
とくに箇条書き的に「事実」を羅列する教科書の如きものでは、その欠点が露骨に出てくる。
箇条書き的で多くを語らないものだから、すっぽりと抜け落ちるものは「当時代の人はこういう風に思考し、こう激情にかられ、こう悲しんだ」ということです。

「大東亜戦争では自衛の理念によって思考し、アメリカ憎しの激情にかられ、人の死を悲しんだ」
こういうことがすっぽり抜け落ちる。
ところが、このすっぽり抜け落ちたものは、当時の国民意識の一端をそっちょくに表現するものではあっても、
客観的な事実では全然ない。

「大東亜戦争では・・・人の死を悲しんだ」には、中国、フィリピン、オーストラリア、アメリカといった他の参戦国の国民の意識はすっぽり抜け落ちているからだ。
現在の日本国民のなかに、かつてのオーストラリアがアメリカ以上の反日国家だったことを意識している人がどれだけいるだろうか?
おそらくごくわずかの層しか知らないことだろう。
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コメント

なるほど…『当時代の人はこういう風に思考し』というのは確かに大事ですね。

>>客観的に歴史を見る、ということ


・日本は先の大東亜戦争において、悪い事は何一つしませんでした。
(もしも悪い事があったとしても、『それは一部です』と切り捨てて終了)

・日本は先の大東亜戦争において、良い事は何一つしませんでした。
(もしも良いことがあったとしても、『それは一部です』と切り捨てて終了)


第二次世界大戦の話がこういう極論ばかりになるのには、「(終わってから何十年もたっているとはいえ)その時代を生き抜いた人たちの多くがまだまだ生きておられるから=つまり最早記憶に残るだけの存在であるはずの江戸時代やら戦国時代やらを語るときにも出てきてしまう『感情』というものが、まだ完全に近い状態で残ってしまっているから」というのもあるのかもしれませんね。

>はじめまして。 さん?
お初にお目にかかります。
こんな僻陬のサイトにお越しなって頂いて恐縮です。

ウチの生国の三重県伊賀では、信長に郷土を焼き払われたという歴史があるんですけど、
地元の図書館の郷土史のコーナーなんかには、「郷土の武士を顕彰する」と高らかにうたった本が一杯あります。
顕彰ってのは、第三者的な気分からすると、すごく不自然なんですが、当事者にとっては大事なんでしょうね。
当事者にとっては「不快」だとか、そういう反応も往々にしてあるってことで。

オーストラリアって、第一次世界大戦後にオセアニアの大国として英連邦内での自国の位置を高めようと努力してたみたいなんですけど、
そのとき日本は五大国のひとつで、実はオーストラリアにとってすごい脅威だったそうですね、
日本が。
そして、戦前のオーストラリアの貿易相手国の一位はイギリスでもアメリカでもなく、日本だったとか。
つまりオーストラリアは、日本の動向に終始注意を向けていたということのようです。

このことはあまり注意されてないような気がしますけど、
現代の日中関係って、戦前の日豪関係と比較できそうだな~と。

>元歎さん

最初はギリシャ・ローマとか、古典古代から例をとってこようと思ったんですけど、
太平洋戦争が身近だし説得力があったんでw

けっこう厳格に、歴史を見る目はこうじゃないといけないうんぬんと、主張されると見落とされがちですから。

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巫俊(ふしゅん)

Author:巫俊(ふしゅん)
研究対象:中国史(夏殷時代の地域史)
テーマ:神の王権の民族抗争とその生態

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