FC2ブログ

巫氏春秋

アフロユーラシア史関係の雑記。 歴史と民族関係の書籍紹介。 井戸の中のカエル(巫俊の前世)の陳腐な日常の大冒険の言行録を一挙公開♪ 巫俊の総裁する雑篇「巫氏春秋」を照覧あれ。

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

徐州の起源

何事も起源のあるところには起源がある。
とくに徐州という区分もそうだ。
徐州が250キロメートル四方くらいの小さくはない州になったことには自ずと起源があり、その起源は州としては戦国時代まで遡る。
徐という地名は殷代まで遡れるし、神話伝説でよかったら五帝や夏まで遡れる。

まず第一に、殷代に徐と呼ばれる地方は既に広大な広さをもっていたということが分かっている。
徐の国ないし地域は左伝などを見ても、多くの民族が集住し、政治的に分立・混沌としていたことは容易にうかがえる。
一方で、殷・周の代々の政権の政策によって、徐の国ないし地域は中原の勢力にしばしば深く侵攻されていたことも、また殷の甲骨文・西周の金文・春秋時代の左伝から充分に読み取れる。

憶測すれば、徐の地域はさいしょ政治的統合が未熟な地域だったのだろう。
中原地域を近世の強力に統一されたフランスに例えれば、徐の地域は政治的に不統一なドイツに例えられるかもしれない。
ドイツは政治的統一の未熟なために強国の資質がありながら、後発国の身分を余儀なくされ、ついに世界大戦に至ったという歴史がある。

徐の地域もとうしょは王権の成立が未熟であったのだろう。
だから殷や周といった西方の成熟した統一勢力によって、徐は何度も戦火をこうむるようになった。
そんななかで徐にも中原に対抗する王権が登場したらしい。
伝説では西周時代に徐のエン王という名君がいたとされ、春秋時代には徐王義楚が自身の王位に就いていることを記す金文を作成している。

しかし春秋時代の終わりまでに、自立した徐国は湖北の楚や江南の呉に滅ぼされてしまったらしい。
もっとその詳しい経過を知りたいところだ。
スポンサーサイト

コメント

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

この記事へのトラックバックURL
http://uruseiyatsura.blog62.fc2.com/tb.php/33-d90f1ce1

 | HOME | 

文字サイズの変更

プロフィール

巫俊(ふしゅん)

Author:巫俊(ふしゅん)
研究対象:中国史(夏殷時代の地域史)
テーマ:神の王権の民族抗争とその生態

最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

月別アーカイブ

カテゴリー

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

ブログ内検索

RSSフィード

リンク

このブログをリンクに追加する

FC2Ad

Template by たけやん

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。