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巫氏春秋

アフロユーラシア史関係の雑記。 歴史と民族関係の書籍紹介。 井戸の中のカエル(巫俊の前世)の陳腐な日常の大冒険の言行録を一挙公開♪ 巫俊の総裁する雑篇「巫氏春秋」を照覧あれ。

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戦国衛の滅亡年

『訳注戦国縦横家書』は藤田和久氏(講談社選書メチエ『項羽と劉邦の時代』2006などで知られる戦国時代の研究者)らが訳注を施して東方書店が出版しているものだが、

http://www.toho-shoten.co.jp/jbook/maoutai.html
↑『訳注戦国縦横家書』

その末尾に付属している年表には、
254年 魏が衛国を滅ぼす(呂氏春秋)
とある。

紀元前254年は吉本道雅氏の「戦国紀年略表」によると、
254年 衛の元君元年
とあり、
230年 衛の元君二十五年(元君二十五年死す『史記』衛康叔世家)
229年 衛の君角元年
209年 衛の君角二十一年亡ぶ
とある。
紀元前209年は二世皇帝の元年であって、
吉本道雅氏の「戦国紀年略表」は『史記』の衛康叔世家に準拠しているようである。

『史記』によると、衛の君主は元君の兄の嗣君の代に爵号を落として「侯」から「君」になっていて、
嗣君の子の懐君が魏に殺されて、懐君の叔父で嗣君の弟の元君が魏によって立てられたらしい。

『訳注戦国縦横家書』年表 254年 魏が衛国を滅ぼす(呂氏春秋)
は懐君を殺したことを言っているのだろうか。
『呂氏春秋』を全文検索してみたのだが、中央研究院のものは衛の字が文字化けして検索することができない...肝心なところでうまく行かないぜ(×_×)

ついでに吉本道雅氏の「戦国紀年略表」は、当該部分において踰年称元法を採用している。
平勢隆郎氏の説では衛の年次を立年称元法で計算し直して、紀元前221年(秦王政二十六年)の天下統一の年に衛も滅ぼされたとする。

(続く)
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コメント

お久しぶりです。
一つ疑問があるのですが
秦はなぜ名目上、衛を残したんでしょうか?
別に廃してもいいと思うのですが

あっあと言っておくと私はもう平勢信者ではないので。

こんにちは。ごめんなさい放置状態で確認してませんでした(汗)
別に廃する必要が無かったからではないでしょうか。安陵君と安武侯も廃されてませんし。
安陵君は河南省堰(土ではなくβ)県にあった小国の封君で、『戦国策』では国土を取り上げようとする秦王に対して一歩も引かず、魏と韓が滅んでも安陵君は50里の国土を保ったとあります。
安武侯は『史記』に出てくる趙高の爵位で、どこに封建されたとは書かれていませんが、秦帝国にも諸侯の制度があったことは事実のようです。
考えるに、安陵君が国土を保ったのは気骨の為であり、趙高が爵位を持っていたのは権勢の為、衛君が爵位国土を保ったのは二世皇帝の兄弟と姻戚関係にあったからなどと想像すれば、衛が二世の元年に滅びたことも辻褄があいます。

なるほど。
ありがとうございます^^

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Author:巫俊(ふしゅん)
研究対象:中国史(夏殷時代の地域史)
テーマ:神の王権の民族抗争とその生態

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