巫氏春秋

アフロユーラシア史関係の雑記。 歴史と民族関係の書籍紹介。 井戸の中のカエル(巫俊の前世)の陳腐な日常の大冒険の言行録を一挙公開♪ 巫俊の総裁する雑篇「巫氏春秋」を照覧あれ。

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読書『モンゴルvs.西欧vs.イスラム』

伊藤敏樹、講談社選書メチエ、2004年。
副題は「13世紀の世界大戦」。

プロローグ
第一章 モンゴル軍の西進
第二章 第七次十字軍の迷走
第三章 モンゴルのイスラム進攻作戦
第四章 西欧対モンゴル・モンゴル対イスラム・西欧対イスラム
第五章 西欧大進攻
第六章 三つ巴の行方
エピローグ
あとがき


今、第五章の途中まで読み終えました。
最初はモンゴル国のチンギス・カァンの一族の知識と、モンゴル国と北欧で交戦したドイツ騎士団の知識、
あとは百年戦争の英仏両国と、西欧人が東ローマ帝国を征服して建国したラテン帝国に、
イスラームのサラディンがエジプトで興したアイユーブ朝のことなど、

その程度のごくごく若干の事柄しか覚えていなかったので、本書に登場する主要人物の人名は難解かもしれないと構えていたんですが、
思ったよりずっと読みやすく、何より内容がよく整理されていて、当時の国際状況が年代別に理解できてとても興奮する内容です。

中国から西アジア、ウラル山脈以西のロシア地域までを支配していた13世紀のモンゴル帝国は、
フランス王国とローマ教皇、神聖ローマ帝国(ドイツ)などの諸勢力に分裂していた西欧世界にとって大いなる脅威でした。

それはエジプトやチュニジア、グラナダ、パレスチナなどの中小王国に分裂していた西イスラム世界にとっても同じです。
既に東イスラム世界や東欧の一部はモンゴルの勢力圏と化し、この地域のミリタリーバランスは一変しつつあったのです。


通説的な説明では、モンゴル軍は嵐のように西欧・イスラム世界を襲ったが、大カァンの死によってモンゴル軍は本拠地に撤退したので、西欧・イスラム世界は助かったと説明されています。

しかし本書を丹念に読んでいくと、モンゴル軍は大カァンの死後も繰り返し西欧とイスラムの併合を企てていましたし、
一方でフランス王国のルイ9世は船団を組んで地中海を渡海、聖地イェルサレムを奪回せんとしていました。
またエジプトのマムルーク朝君主バイバルスは起死回生の軍を挙げてモンゴル軍に挑戦し、シリアからトルコ南部にかけての地を回復するという、イスラームの復興を成し遂げていたということです。

歴史はちょっとしたことで明暗が変転するものです。
現代の地中海の周辺にある諸国は、この13世紀の抗争劇の結果新しく成立し、あるいは存続したことに起源しています。


13世紀の戦争は13世紀だけに終始する訳ではなく、遠く現代にまで影響力を行使しているんです。
また、モンゴル軍の一連の西方遠征には、モンゴル軍配下の中国人部隊が転戦して少なくない影響を与えているようです。

モンゴル軍を陰で支え、転戦した中国人部隊は郭侃(かくかん)などの司令官に率いられ、
遠くシリアやパレスチナ、キプロス島にまで攻め寄せ、
中国の伝統的な兵器である弩や火薬兵器を扱う専門部隊に組織されていたようです。

モンゴルの背後にあった中国の人口と富が、モンゴルの西方遠征を可能にした要因のひとつと考えられます。
とすると、この13世紀の時点で、中国とヨーロッパは地域的な文明圏として、互いに影響を与える関係にあったということが類推されることになるんです。

郭侃という司令官がもしかして『孫子』兵法を使っていたとしたら、それはおそらく曹操の注釈を施した孫子が西アジアの砂漠地帯で実践された史上初めての戦いということになります。

歴史はすべてつながっていることを胸に・・・

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コメント

来させてもらいました

来させてもらいましたが、いや~奥深いですね~。
私もいろいろできるようにしなくては・・・。
巫俊さんも頑張ってくださいね。

こんにちは

私が注視してるのは、アフロユーラシア大陸の歴史を統合してひとつのものにする試みです。
アフリカとユーラシア大陸の歴史という意味ですよ。

日本じゃ、三国志はよく知られているけど、アフリカの歴史ってほとんど知られてないですよね。
それどころか、「アフリカに歴史は無い」なんて誤解まで蔓延してます。
私は2、3年まえくらいから縁があってアフリカの歴史を勉強してるんですが、アフリカの歴史は面白いです。

野生の王国だとか、国家や文明は無かったみたいなイメージがアフリカにあるとすると、それは嘘なんです。
アフリカには歴史上、数百の国家があって、それが三国志の群雄みたいに互いに抗争してたんですよ。

こう書くと、「俺にはよくわかんないよ・・」みたいな返事が返ってきそうですが、
私たちがふだん見知っている歴史の外側には、まだ知られていない歴史が無限大にあるんです。

そのひとつひとつが三国志と同様に面白かったとしたら、これはとても興奮することなんですよ。

どうも♪

新年あけましておめでとうございます。
今年からですがどうぞよろしくお願いします。

明けましておめでというございます。

本年もよろしくお願いします^^
最近はあんころもちを頂きながら呉将の列伝を読むのが日課です。
糖尿病が心配だwその割にはあんまり読み進んでいないしww

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エジプトがすごい

マムルーク朝の国制マムルーク朝のスルタンは世襲せずマムルーク出身であったため、支配下のエジプトにおいては非アラブ人|アラブ系の外来者であった。そのため、バイバルスの時代にアッバース朝の末裔を首都カイロで名目上のカリフに立て(マムルーク朝におけるカリフとス

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巫俊(ふしゅん)

Author:巫俊(ふしゅん)
研究対象:中国史(夏殷時代の地域史)
テーマ:神の王権の民族抗争とその生態

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