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巫氏春秋

アフロユーラシア史関係の雑記。 歴史と民族関係の書籍紹介。 井戸の中のカエル(巫俊の前世)の陳腐な日常の大冒険の言行録を一挙公開♪ 巫俊の総裁する雑篇「巫氏春秋」を照覧あれ。

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疑わしい「信義」

http://m.z-z.jp/?359kk
「三国志討論場」
http://o.z-z.jp/thwrite.cgi
http://z-z.jp/?3594
より転載。
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90:巫俊(ふしゅん)
「貧乏男子」1話見ました。
非常に非現実的な展開と妙にリアルな心理描写の組み合わせはありきたりですが、本当にありきたりな脚本でした(笑)
1/15 23:55
[削除]

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91:しす
>>90
私も見ましたけど、これと言って注目するものが特に無く、主題歌以外はどうでもいいと感じました。
どうも火曜日10時枠の日テレは不作が多いような気が…。
1/17 17:33
[削除]

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92:巫俊(ふしゅん)
>>91
ユリウス・カエサルも市民の生活の為に借財を惜しまぬ男子でした。
貧乏男子の主人公はカエサルと比べることもできないlvの思考回路をしていますが、信義に厚いことは確か。
しかし何故人に施すのか、何故人と付き合うのか、主人公は考えない人間のようです。
これが今風というのでしょうか、物事を深く考えるという思慮に欠けた人間が主人公です。
ドラマの舞台は大学ですが学問を道具にして自己を修養しようとしない、勉強をすることで生き方を模索しようという趣旨は期待できそうにないですね。

ところでこの話を成立させているのは、義理人情の裏に潜む「利」でしょうね。
能天気な主人公が大学の仲間から礼遇されているのは、彼が献身して金を出すことを惜しまないからに過ぎません。
1話の終盤で大学の仲間に労賃を要求された場面は、彼と仲間の関係が金という「利」でしか維持できないことを示唆しています。
金がないからと渋っていては話が成立しませんし、仲間から「利」を要求されて断れない彼は今後も借財を重ねることになります。
この話は奇特な富人の貸し手を抜いても成立しません。灰かぶり姫(しんでれら)の物語と同じで超自然的な力の助けがなければ仲間(灰かぶり姫の場合は王子様)との関係は釣り合う「利」を得ず(仲間に気前よく渡す金、王子さまと釣り合うだけの靴やドレス)、やっぱり関係を維持できないのです。

そして私巫俊は、このようなとくに金銭的な「利」によって成り立つ関係を危ぶんでいます。
金が尽きるときが縁の切れ目。
世間を生きるということは金のかかることですが、しかしなるべくなら「金」だけで成立するような友人はつくりたくないものです。
貧乏男子の主人公は一見義に厚い好男子ですが「義」というものの本質が分かっていないので、これが物語りでなく実話であればまもなく金が尽き、そして仲間から見捨てられ裏切られ利用されて終わる悲惨な最期を遂げるでしょう。
だから私は批判されることのない杜撰な「信義」は妄信であると危ぶみます。

三国志は信義を題材にした物語でもありますが、「利」を抜きにして関羽や諸葛亮の義理、大義を信じてしまったりする人は、世間を正しく理解できないので人生を誤るとこのスレを借りて不特定多数の三国志ファンみなさま警告させて頂きます。
1/20 6:17
[削除]

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巫俊(ふしゅん)

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「その信義、危険ですよ」な話
話題別掲示板のドラマスレッドより。
「貧乏男子」という流行のドラマがあるのですが、サラ金で借りた金を人の為に使ってしまう信義は厚いが馬鹿な主人公の話です。
実は私はこのドラマを現代版「シンデレラ」だと思っています。
そしてこの話から提起される問題は、義兄弟であるとか漢室の大義であるとか「義」という言葉が大好きな三国志ファンにとって大変重いものであると思います。
何故ならば関羽であれ劉備、諸葛亮であれ、「義」のあるところには「利」があるからです。
人が人に義心のあることを示すものは戦功であり、三顧の待遇であり、軍師としての実績である、すなわち能力や結果を示す「利」です。
「利」のないところに「義」は発生しないと思うのですが如何でしょうか?

三国志ファンが実世界であれ掲示板であれ、不遇をかこつことがあるとすれば、それは「利」不在の「義」を示してしまったことにあると思うんですよね。
例えば討論場で丁寧に返事を書いたのに思ったような返事をもらえない、なんてケースはもろに「利」がないところに「義」を示してしまったということじゃないかと。

そうした人間関係で悩んでる人いれば相談に乗ります(笑)
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1/20 6:23 [PC]
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Author:巫俊(ふしゅん)
研究対象:中国史(夏殷時代の地域史)
テーマ:神の王権の民族抗争とその生態

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